主にヨサコイと刀剣乱舞にきゃっきゃしながら元気です。
このたび、ちょっと南部せんべいについて考察を深めてみようかと急に思い立って。
いや、南部せんべいは岩手県民としてふつうに好きではあるものの、地元の銘菓という以上の思い入れはとりたててなかったんだけども。
なんとなく「深山栗しぼり」よりは生活に密着していて、「石割桜」よりはメジャーなものの、全国的なネームバリューは「かもめのたまご」に食われ気味。
そんなイメージ。
だがしかし。
このところ、地元に対する理解をもっと深めたいなぁ、というか。
そもそもヨサコイでオリジナル性を出すのに地元愛って必要じゃね?ていう気づきと、さらには刀剣乱舞で平泉がフィーチャーされることが多くて地元再発見ブームが個人的に来ておりまして。
そんなわけで慣れ親しんだ南部せんべいを突き詰めてみると何か楽しいんじゃないかなと思った次第です。
南部せんべいといえば、昔語り風CMを覚えているのはちょっと前の世代なのかな?
たしか
「むが〜しむがし、腹ぁすがせだ南部の殿さまに、おつきの家来が兜ぁ鍋にして、蕎麦の粉と胡麻を混ぜ、焼いて差し上げだら、まんづ喜んで食べなされだど」
とかいうストーリーだった気がする。
ちょっと待て。
蕎麦粉?
今の南部せんべいって小麦粉だよね?
一説には、南北朝時代に陸奥を訪れた長慶天皇が腹ペコになった際に家臣が米粉と蕎麦粉を混ぜて鉄兜で焼いたというのもあるらしい。
やっぱり小麦粉どこから来た。
そういえば、私は岩手生まれ岩手育ち秋田で一時預かりという来歴なので全然違和感なかったのですが、全国的には煎餅って米菓なんだってね。
そんなところに地味にオリジナリティを発揮してるあたりがなんとも岩手らしいなあ。
まあ実際のところは、煎餅にするほど米が採れなかったんじゃないかな南部藩。
小学校の授業で、日本のほとんどは温暖湿潤気候なのに岩手から亜寒帯気候だと知ったときのショックは忘れない。
同じ緯度でも隣の秋田は温暖湿潤気候なのに!
ともあれ、伊達藩には穀倉地帯がたくさんありますが南部藩はそんなに米作に向いてなかったんじゃないかと思うので、菓子にできる身近な材料は麦とか蕎麦だったんだろうなーと思われます。
南部藩では野戦食でもあったんだって!
保存効くし軽いし、確かに便利かも。
どうやら菓子というよりは主食寄りの食べ物として南部藩の民の体を支えてきたようです。
元祖ソウルフード!
大人も子供も年寄りも、南部の民は南部せんべい食べて生きてきたんだよ!
二戸の巌手屋さんサイトでは
「婚礼のときには南部せんべいの上に赤飯を盛って配り歩いた」
という情報も。
ブライダルせんべい?
というかそれは食べられる皿というかモナカ的なパッケージというか。
地味にいい仕事してるよね南部せんべい。
現代でもジェラートを挟んでモナカ的に食べる「なんじぇら」とかあるし。
なんなら汁物の具にもなるし。
チョコ南部ではパフやクラッカー的な役割まで果たしているあたり、オールラウンダーなんじゃないの南部せんべい。
そんなこんなで南部の殿さまももちろん好んで召し上がったので献上品にもなっていたそうです。
南部せんべいといえば専用の型に入れて焼くものですが、やっぱり献上品は型も凝ってたんでしょうねえ。
なんでも正式な南部せんべいには裏表の模様に決まりがあるらしいです。
表が菊水、裏には三階松。
長慶天皇にせんべいを焼いた赤松さん家の紋と、南朝の忠臣である楠木正成の紋なんだそうで。
ということは南部せんべいの起源としてはやっぱり長慶天皇お気にいり説が有力なのね。
殿だけでなく天皇まで魅了するとは、やるなあ南部せんべい。
ちなみに主たる起源説は3つあり、1つが長慶天皇説、2つ目が南部の殿さま説、3つ目はキリスト創始説です。
六芒星がデザインされた型があるからというのが3つ目の根拠です。
五戸にはキリストの墓があったりとかキリスト祭りがあったりするけど、これまた独特なキリスト教とのかかわり方ですよねえ。
ともあれ。
ちょっと前には一斗缶にがっつり入った南部せんべいが当たり前に各家庭でバリボリ食べられていたり、南部の民のDNAを支えてくれていたんだなーと改めて実感。
今度食べるときはもーちょっと感慨をもっていただいてみよう✨
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